こんにちは、ひやニキです。
先日、池袋ハロウィンで起きたある出来事がSNSで話題になりました。
女性更衣室に女装の男性が入っていたという内容です。
この投稿を見たとき、僕は「ああ、またか」
そう思うと同時に、これは単なるマナー違反の話ではなく、もっと深い問題が潜んでいると感じました。
今日お話ししたいのは、LGBT云々の議論ではありません。
それは別の機会に譲るとして、今回焦点を当てたいのは「自己客観能力」という、コスプレイヤー、特に女装をする人にとって致命的に重要な能力についてです。
この内容はyoutubeでも語っているので、もし良ければそちらでも参照ください。
何が起きたのか?そして何が問題なのか?

池袋ハロウィンの女性更衣室で、女装の男性がズボンを脱いで着替えをしていたという報告がありました。
投稿者は「明らかに男性の声」「鏡で見たら明らかに男の人だった」と書いています。
ここで考えてほしいのです。
なぜこの人は女性更衣室に入ったのでしょうか?
おそらく本人の中では「自分は女装をしているから」「可愛く見えているはずだから」という認識があったのでしょう。
しかし、周囲の女性たちから見れば、それは「明らかに男性」だったわけです。
この認識のギャップこそが、今回の記事で深掘りしたい「自己客観能力の欠如」という問題なのです。
「私可愛い」症候群の実態

僕が勝手に「私可愛い症候群」と呼んでいる現象が存在します。
これは、自分では「完璧に女の子に見えている」「めちゃくちゃ可愛い(かっこいい)」と思い込んでいるのに、実際には周囲から見ると全くそう見えていないという状態です。
鏡を見て「今日の私、完璧!」と思っているその瞬間、実は青髭が透けていたり、ウィッグの生え際が不自然だったり、体のラインが完全に男性のままだったりする。
でも本人は気づかない。
気づこうともしない。
なぜなら、自分の理想像というフィルター越しにしか自分を見ていないからです。
誰かに褒められる前に、まず自分で「私は可愛い」と宣言しておく。
それは自己肯定ではなく、先回りした自己防衛です。
この「自己評価と他者評価のズレ」は、現代のSNS文化が加速させています。
これが単に「写真の写り」の問題だけなら、まだ可愛いものです。
しかし今回の池袋ハロウィンのケースのように、それが他者の安全や快適さを脅かす行動に繋がったとき、それはもはや個人の問題では済まされません。
自己客観能力とは何か?

自己客観能力とは、
「他者から見た自分」を想像し、行動や表現を修正できる力のことです。
自分を“他者の視点”から観察する力、つまりメタ認知能力の一種ですね。
簡単に言えば、「もし自分が他人だったら、自分をどう見るか?」という視点の持ち方。
メタ認知について深く学びたい方には、この書籍がおすすめです↓
自分の姿や言動が他人にどう映るかを、冷静に観察できる能力とも言えます。
この力が欠けると、次のようなことが起きます。
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「自分は女装しているから女性扱いされるべき」と思い込み、他者の不安や不快感を想像できない。 
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メイクが上達しない。自分の欠点に気づかないから。 
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ウィッグや衣装の違和感に気づかず「これで完璧」と思い込む。 
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他人の反応を誤解して、痛々しい振る舞いを続けてしまう。 
自己客観能力とは、「鏡の外にいる自分」を見られるかどうかなのです。
池袋ハロウィンの件が典型例ですが、「自分は女装をしているから女性扱いされるべき」という思い込みから、周囲の女性たちの恐怖や不快感を想像することができなくなってしまうのです。
コスプレや女装において、自己客観能力の欠如は次のような形で現れます。
メイクの技術が向上しない人は、自分のメイクを客観的に評価できていません。
メイクの基礎を見直したい方は、こちらの記事も参考にしてください。
「このアイラインで大丈夫」と思っているかもしれませんが、実際には太すぎたり左右非対称だったりする。
でも自分では「完璧」と思っているから、改善しようとしない。
ウィッグのセットも同じです。
「これで自然」と思っていても、実際には前髪の量が多すぎて不自然だったり、後ろのボリュームが足りなくてペタンコだったりする。
しかし鏡を見て満足してしまうから、そこから先に進めないのです。
体型についても然り。
コスプレ衣装を着て「完璧!」と思っていても、実際には体のラインが全く女性的ではなく、肩幅が目立ち、腰のくびれもない。
でも本人は「衣装を着ているから大丈夫」と思い込んでしまう。
なぜ自己客観能力が育たないのか?

ここで考えるべきは、なぜ自己客観能力が育たないのかということです。
その理由はいくつかあります。
まず、承認欲求の問題があります。
SNSで「いいね」をもらいたい、イベントで「可愛い」と言われたい。
その欲求が強すぎると、現実を直視することが怖くなってしまいます。
「自分は可愛くない」という事実を受け入れることは、自己肯定感の崩壊を意味するからです。
だから無意識のうちに、自分に都合の良い解釈だけを選び取ってしまう。
またSNSの弊害は他にもあります。
現代のSNS文化は「他者の視線」を内在化それそのものを極端に歪めています。
“他者の目”はもはやリアルな関係性ではなく、「アルゴリズムに最適化された観客」へと変質しているのです。
結果として、「見られている自分」は存在するのに、「誰が見ているのか」は不明瞭なまま。
それが、現代人の“自己客観能力の空洞化”を生んでる側面がおおきいのかもしれません。
次に、フィードバックの不足があります。
ネットのコミュニティは優しい世界です。
わざわざ他人のクオリティの低さを指摘する人は少ない。だから「何も言われない」=「問題ない」と勘違いしてしまう。
本当は周囲の人たちが「何も言わない」のではなく、「言いづらい」だけなのに。
そして最も重要なのが、比較対象の欠如です。
狭いコミュニティの中で褒め合っているうちに、「自分は上級者だ」と思い込んでしまう。
自分より上手い人、プロのメイクアップアーティスト、本物のモデルさんたち……。
自分を比較する機会がないと、自分がどのレベルにいるのかが分からなくなります。
井の中の蛙状態になってしまうのです。
これは行動面でも他者比較を忘れてしまっている、という文脈でも欠如は当てはまります。
男性の女性更衣室への侵入。参加者は「悪気」があったわけではない(かもしれない)。
むしろ、“楽しいことをしているだけ”という意識だったかもしれません。
ここに、群衆心理の典型的メカニズムが存在します。
群衆は「理性を失った集合体」です。
匿名性が高まり、責任が拡散すると、人は驚くほど容易に社会的規範を外れます。
自己客観能力の欠如がもたらす深刻な結果

池袋ハロウィンの件は、自己客観能力の欠如が個人の問題を超えて、コミュニティ全体に悪影響を及ぼす典型例です。
一人の女装レイヤーの不適切な行動が、コスプレイヤー全体のイメージを悪化させます。
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女装レイヤー全体への不信感 
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運営側による規制(女装禁止、性別確認など) 
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コスプレ界全体の印象悪化 
一番のおそれはコスプレコミュニティ全体のイメージが傷つきます。
一般の人たちから見れば「コスプレイベントって怖い場所」「変な人が集まる場所」という印象を持たれてしまう。
これは僕たちコスプレを愛する者にとって、何よりも悲しいことではないでしょうか。
クオリティが上がらない真の原因

「私可愛い」と思い込んでいる女装レイヤーのクオリティが上がらないのは、技術不足だけが原因ではありません。むしろ、自己客観能力の欠如こそが根本的な原因なのです。
その前に一つの事実を提示します。
“私可愛い”症候群の根底には、「他者に見られなければ存在できない自己像」があると思っています。
つまり、内側からの確信ではなく、他者のまなざしを取り込むことでしか自分を感じられない構造です。
そこでは「可愛い」は自己評価ではなく、“他者の承認を前提とした呪文”として機能する。
そして、この「可愛い」の過剰な自己演出は、やがて「他者を見れない自分」を育ててしまう。
“見る/見られる”のバランスが崩れ、自分という存在が常に「観客のための演出物」と化していく。
現代的ナルシシズムのもっとも危険な形態、それそのものが存在することを前提に進めます。
そのうえで言うと、メイクの技術を磨くには、まず「今の自分のメイクは完璧ではない」という認識が必要です。
でも「私可愛い」フィルターがかかっていると、この第一歩が踏み出せない。
改善の必要性を感じないから、勉強もしない、練習もしない。
結果として、いつまで経っても同じレベルで停滞てしまう。
ウィッグのセットも、衣装の選び方も、体型管理も、すべて同じ。
「今の自分で十分」と思っている限り、それ以上の成長はありません。
自己客観能力がないということは、成長の機会を自ら手放しているということなのです。
僕自身、昔は「私可愛い」症候群に陥っていた時期がありました。
でも、その「愕然」という経験こそが、成長のきっかけでした。
自分を客観的に見る目を養うことで、初めて本当の意味での改善が始まったのです。
自己客観能力を高めるために

では、どうすれば自己客観能力を高めることができるのでしょうか?
鍵は、「他者の目を恐れず、内在化すること」かなあと思います。
つまり、「他者からどう見えるか」を気にするのではなく、「他者からどう見えるかを、自分の中で考える」習慣を持つこと。
心理療法の世界では、これをメタ認知トレーニングと呼びます。
自分の感情や行動を、俯瞰的に“観察”する訓練。
SNSで何かを発信する前に、「これは“誰”にどう見られるだろう?」と立ち止まるだけでも、
人は少しずつ“他者の視線”を再構築できる。
オススメは自分の感情を整理するのに、5分間ノートに書き出してみること。
最初は2~3分でもいい。
こういった小さな感情整理が自分と向き合い、世界と向き合うこととなります。
書き出し用のノートは、シンプルなものがおすすめ。僕はこれを使ってました↓
更に、僕の経験からいくつかの方法を提案したいと思います。
まず、写真や動画を活用することです。
鏡で見る自分と、カメラを通して見る自分は違います。
特に動画は、自分の動きや仕草、声のトーンまで含めて客観的に確認できる最高のツールです。
撮影した直後ではなく、数日経ってから見返すことで、より冷静に自分を評価できるようになります。
次に、信頼できる人からのフィードバックを求めることです。
ただし、ここで重要なのは「本音を言ってくれる人」を見つけることです。
お世辞を言ってくれる人ではなく、改善点を具体的に指摘してくれる人。
そういう人は貴重ですし、その人の言葉は時に耳が痛いかもしれませんが、それこそが成長の糧になります。
そして、比較対象を持つことです。
プロのメイクアップアーティストの作品を見る、トップレイヤーさんの写真を研究する、本物のモデルさんやアイドルの画像と自分を比べてみる。
最初は凹むかもしれません。でも、その差を認識することが、向上心の源になるのです。
メイクを客観的にチェックするには、照明付きの三面鏡があると便利↓
マジに見え方を広くしないとメイクは上手くならないし一個持っておくべきです。
さらに重要なのが、定期的な「現実チェック」の習慣をつけることです。
イベントから帰ってきたら、必ず写真を見返す。良かった点と改善点をノートに書き出す。
次回のコスプレではここを改善しようと具体的な目標を立てる。この積み重ねが、自己客観能力を育てていきます。
他者への配慮は自己客観能力から生まれる

池袋ハロウィンの件に戻りましょう。あの女装レイヤーに欠けていたのは、単にマナーだけではありません。
自己客観能力がなかったからこそ、女性更衣室に入るという選択をしてしまったのです。
もし自己客観能力があれば、(例えLGBTでも)こう考えられたはずです。
「自分は女装(性自認は女性だが)をしているけれど、体は男性だ。声も男性の声だ。女性更衣室に入れば、他の女性たちは不快に感じるかもしれない。怖いと思うかもしれない。だから男性更衣室を使おう」と。
自分を客観的に見る力は、同時に他者の視点で物事を考える力でもあります。
「自分がどう見えているか」を理解できる人は、「自分の行動が他者にどんな影響を与えるか」も理解できるのです。
コスプレは楽しい趣味です。女装も素晴らしい自己表現の一つです。
でも、その楽しさや表現の自由は、他者への配慮があってこそ成り立つものです。
そして、その配慮の根底にあるのが、自己客観能力なのです。
成長し続けるために
僕たちコスプレイヤーは、常に成長し続けることができます。
メイクの技術は向上し続けるし、ウィッグのセットは上達し続けるし、体型も努力次第で変えることができます。
※→【ダイエットに食べていいもの】おすすめの食べ物やおやつ、食べ順をご紹介!で詳しくダイエットは話してます。
でも、その成長の前提条件として、自己客観能力が必要なのです。
「私可愛い」と自己満足している間は、成長は止まります。
でも、「まだまだ改善の余地がある」と謙虚に自分を見つめ続けることができれば、その成長は止まりません。
池袋ハロウィンの事件は、僕たち全員への警鐘だと思っています。
あれは「誰かの問題」ではなく、「僕たち全員の問題」なのです。
なぜなら、自己客観能力の欠如は、程度の差こそあれ、誰もが陥る可能性のある落とし穴だからです。
だからこそ、今日から始めてほしいのです。
自分を客観的に見る練習を。写真を撮って、冷静に見返すことを。
信頼できる人にフィードバックを求めることを。プロの作品と自分を比較してみることを。
おわりに

自己客観能力を高めることは、決して「自分を否定すること」ではありません。
むしろ、より良い自分になるための第一歩です。
現状を正しく認識できてこそ、次のステップが見えてくる。
改善点が分かってこそ、成長の道筋が描ける。
コスプレは素晴らしい趣味です。
その美しさと素晴らしさを守るためにも、僕たち一人ひとりが自己客観能力を磨き、他者への配慮を忘れずに活動していきたいものです。
あなたの鏡に映る姿は、本当にあなたが思っている通りの姿ですか?
その問いかけを、時々自分に投げかけてみてください。
その小さな習慣が、あなたをより素晴らしいコスプレイヤーへと成長させてくれるはずです。
それでは、また次の記事でお会いしましょう。



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